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名古屋地方裁判所 平成3年(ワ)3842号 判決

原告(反訴被告)

丸万証券株式会社

右代表者代表取締役

武田金雄

右訴訟代理人弁護士

小栗孝夫

小栗厚紀

石畔重次

橋本修三

後藤脩治

被告(反訴原告)

乙野花子

右訴訟代理人弁護士

秋田光治

池田桂子

主文

一  原告(反訴被告)の請求を棄却する。

二  被告(反訴原告)の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、本訴、反訴ともに、これを二分し、その一を原告(反訴被告)の負担とし、その余を被告(反訴原告)の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  本訴

被告(反訴原告、以下「被告」という。)は、原告(反訴被告、以下「原告」という。)に対し、二三七六万六八五九円及びこれに対する平成三年一二月一六日から支払済に至るまで年六分の割合による金員の支払をせよ。

二  反訴

(主位的請求)

原告は、被告に対し、二三〇一万七〇〇〇円及びこれに対する平成四年二月一日から支払済に至るまで年六分の割合による金員の支払をせよ。

(予備的請求)

原告は、被告に対し、二三〇一万七〇〇〇円及びこれに対する平成四年二月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

第二  事案の概要

一  法令の規定及び当事者間に争いがない事実

1  株式の信用取引について

(一)① 株式の信用取引は、証券会社が顧客に信用を供与して行う売買取引で、顧客は、委託保証金又はこれに代わる有価証券を、証券会社に預託することにより、証券会社から、買付代金又は売り付ける株券の貸付けを受けることができ、それで、株式の売買取引を行う。

② 委託保証金の額は、当該取引に係る有価証券の時価に大蔵大臣が一〇〇分の三〇を下らない範囲において定める率を乗じた額を下らないものでなければならない(証券取引法四九条一項)。大蔵大臣が定めている率は、一〇〇分の三〇である(証券取引法第四十九条に規定する取引及びその保証金に関する省令二条一項一号)が、各証券取引所は、法令の定める範囲で、右の委託保証金の率を定めている。

各証券取引所が定める委託保証金の率は、昭和六三年六月三日に、それまで六〇パーセントであったものが七〇パーセントに引き上げられ、その後、平成元年六月三〇日から六〇パーセント、平成二年二月二一日から五〇パーセント、同月二七日から四〇パーセント、同年九月六日から三〇パーセントにそれぞれ引き下げられた。

③ 委託保証金を有価証券で代用する場合の代用価格は、それが株券であるときは、預託する日の前日の時価に一〇〇分の七〇を乗じた額を超えてはならない(証券取引法第四十九条に規定する取引及びその保証金に関する省令五条)。各証券取引所は、省令の定める範囲で、右の時価に乗ずる率を定めている。

(二) 東京証券取引所及び大阪証券取引所の各受託契約準則には、信用取引について、次のような規定がある。

① 信用取引に係る損失額からその利益の額を差し引いて計算した計算上の損失額及び顧客が信用取引について負担すべきものの額を、委託保証金の額から差し引いた残額が、信用取引に係る有価証券に係る有価証券の約定価額に一〇〇分の二〇を乗じて算出した額を下回つた場合には、顧客は、その差額を、委託保証金として、証券会社に預託しなければならない(東京証券取引所の受託契約準則一三条の八、一三条の六の二、大阪証券取引所の受託契約準則一一条の八、一一条の六の二、なお、以下、右残額の右約定価額に対する割合を「預託率」といい、右の一〇〇分の二〇を「維持率」という。)。

② 委託保証金の全部又は一部が有価証券をもって代用されている場合には、右計算における代用価格は、計算する前日の時価に一定割合(右(一)③の率)を乗じて算出した額とする(東京証券取引所の受託契約準則一三条の六の二、九条の四第二項、大阪証券取引所の受託契約準則一一条の六の二、八条の五第二項)。

③ 顧客が所定の期限までに右①の預託をしない場合、顧客が貸付けを受けた買付代金を期限までに弁済しない場合などには、証券会社は、信用取引を決済するために、顧客の計算において、売付け又は買付けをすることができ、その場合において、証券会社が損害を被ったときは、顧客のために占有する金銭又は有価証券をもって、その損害の賠償に充当し、なお不足があるときは、その不足額の支払を顧客に請求することができる(東京証券取引所の受託契約準則一三条の九、大阪証券取引所の受託契約準則一〇条の二)。

2  原告と被告の間の取引について

(一) 被告は、昭和六三年八月二五日、原告との間で、株式の信用取引を開始し、愛知製鋼の株式四万四〇〇〇株を、委託保証金に代わる有価証券(以下「代用有価証券」という。)として、原告に預託した。被告は、同日、乙野太郎名義で信用取引口座設定約諾書を作成して、原告に差し入れ、同名義で信用取引口座を開設した。

(二) 原告は、同月二六日、大阪機工一万株、セッツ八〇〇〇株及び日本特殊陶業八〇〇〇株を、被告のために買い付け、以後、原告と被告との間において、株式の信用取引が行われてきた。原告は、東京証券取引所又は大阪証券取引所において、被告のために株式の売買をした。

(三) 右信用取引における預託率は、平成二年八月七日には、維持率二〇パーセントを下回ることとなった。そして、右預託率は、同月二三日には、一〇パーセントを下回り、同年九月二八日には、マイナスになった。

(四) 原告は、被告の預託率が維持率を下回っているにもかかわらず被告が委託保証金を追加して預託せず、かつ、買付代金の貸付けの弁済期限が到来したにもかかわらず被告が弁済しないとして、平成二年一二月二八日から平成三年一月二五日にかけて、別表1記載のとおり、被告の計算において、株式を売り付け、合計四三六九万六八〇九円の損失が生じた。原告において、これに、委託保証金残金五九万二五四八円、信用取引配当金三万二〇〇〇円及び代用有価証券(NTT二四株)の売却代金一九三〇万五四〇二円を充当したところ、残額は、二三七六万六八五九円となった。

二  当事者の主張の要旨

1  本訴

(一) 原告

原告は、被告に対し、右一1(二)③の受託契約準則の規定に基づき、右一2(四)の決済後の残額二三七六万六八五九円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成三年一二月一六日から支払済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(二) 被告

原告の従業員は、被告に対して、適合性原則に反する勧誘を行う等の違法な行為を行い、被告に信用取引をさせた上、それらの取引によって損失が生じて、右一2(三)のとおり預託率が維持率を大幅に下回る事態になったにもかかわらず、建玉を処分するとともに被告が預託していた代用有価証券を売却する等の措置を講ぜず、その結果、右一2(四)の損失の残額が生じたのであるから、その支払を求めることは、信義則に反し、許されない。

2  反訴

(一) 被告

原告の従業員は、遅くとも平成二年九月二六日には、右1(二)の措置を講じるべきであり、これを怠ったことは、信用取引の受託者の顧客に対する善良な管理者としての注意義務に違反する。

右1(二)の措置が講じられていれば、建玉を処分することによって、別表2記載の損失が生じるが、被告が預託していた代用有価証券を売却することによって、別表3記載の売却代金を取得することができるので、その差額から、これらの取引の決済がされる同年一〇月一日現在原告が被告のために立て替えていた委託保証金三三八万三〇〇〇円を差し引いた三九七三万七〇〇〇円が、右1(二)の措置が講じられなかったことによる損害であるということができる。

よって、被告は、原告に対し、主位的に、債務不履行による損害賠償として、右損害金三九七三万七〇〇〇円のうち二三〇一万七〇〇〇円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日である平成四年二月一日から支払済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を、予備的に、不法行為による損害賠償として、右損害金三九七三万七〇〇〇円のうち二三〇一万七〇〇〇円及びこれに対する損害発生後である平成四年二月一日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(二) 原告

原告の従業員に右1(二)の措置を講じるべき義務はない。

三  争点についての当事者の主張

1  被告の主張

(一) 相場の騰落によって不測の損害を被ることがある証券取引にあっては、証券会社は、顧客の知識、経験及び財産の状況に適合した取引の勧誘をしなければならない(適合性の原則)。殊に、信用取引においては、取引の仕組みが複雑であり、一般の顧客が取引の内容を理解することは難しい上、投機性が強く、少ない資金で大きな取引ができる反面、莫大な不測の損害を被ることがあるから、顧客の知識、経験及び財産の状況が、このような信用取引に適合していない限り、取引の勧誘をしてはならない。

被告は、原告との間で株式の信用取引を開始した当時、五二歳の主婦で、証券取引の知識に乏しかった。それにもかかわらず、原告津支店の支店長原田晶久(以下「原田」という。)と同支店の従業員竹村芳幸(以下「竹村」という。)は、被告に、株式の信用取引をするよう勧誘をした上、値動きが激しく、素人には相場の予測が困難な銘柄の株式の売買を勧め、危険な取引を継続させた。また、信用取引において、代用有価証券が預託されている場合には、委託保証金が金銭で預託されている場合に比べて、株価が全般的に低下した際の預託率の低下が大きくなるなど、危険性が高くなるが、竹村らは、原告に勧めて、代用有価証券で預託させていた。さらに、信用取引は、右のとおり投機性が強いから、委託保証金に余裕のある取引を行わなければならないところ、竹村らは、被告に対して委託保証金の限度一杯まで取引をさせ、昭和六三年一〇月からは、借入金までも投入させた。

右のような取引の勧誘が適合性原則に反するものであることは明らかである。

(二) 原田や竹村は、被告の取引が女性の取引であることを隠蔽する目的で、乙野太郎名義で取引をさせた上、取引に当たっては、短期間で絶対に値上りするなどと断定的判断を提供して、売買を継続させた。これらの行為は、誠実、公平義務に違反する。

(三) 被告は、信用取引の仕組みについて知識がなく、維持率を下回った場合には追加の委託保証金を預託しなければならないことや取引を決済した結果損失が生じたときには、それを請求されることがあることを知らなかったし、ましてや、自分の預託率を把握することはできなかった。したがって、被告は、自分の預託率が維持率を下回るような事態になっても、それに適切に対処することは不可能であったのであり、右一2(三)のとおり預託率が維持率を大幅に下回る事態になったときに、これに適切に対処することはできなかった。また、被告の取引について、このように預託率が維持率を大幅に下回る事態になったのは、原告の従業員による右(一)、(二)の行為に原因がある。さらに、被告は、平成二年八月初めころに、竹村に対し、もはや資力はなく、取引を継続できない旨を伝えていた。したがって、原告の従業員は、被告に対して、預託率が維持率を下回っていることを知らせて、建玉を整理するなどの助言をすべきであり、被告が助言によっても適切な対応をしないときは、建玉を処分するとともに、代用有価証券も売却して、それ以上の損失が生じないようにすべきであった。ところが、原告の従業員は、被告に対して、預託率が維持率を下回っていることを知らせなかったばかりか、建玉を整理するなどの助言もせず、建玉を処分するとともに、代用有価証券を売却して、それ以上の損失が生じないような措置を講じることもなかった。

そして、被告の預託率が維持率を下回る状態が続いていたところ、更に預託率が大幅に低下し、預託率が維持率を大幅に下回る状態が続くことが確定的になった平成二年九月二六日には、遅くとも、原告の従業員は、建玉を処分するとともに、代用有価証券を売却して、それ以上の損失が生じないような措置を講じる義務があったということができる。

2  原告の主張

(一) 被告は、昭和五九年ころから数多くの証券会社との間で取引の経験があり、原告との間で株式の信用取引を開始した当時、すでに信用取引やワラント取引の経験があった上、個人資産として、時価四〇〇〇万円近くの株式等、三〇〇〇万円ほどの預貯金及び不動産を有しており、投資顧問会社を利用し、証券会社の各担当者とも相談できる立場にあったから、被告は、その資産、経験、能力から、信用取引をする適格があった。

被告の取引が委託保証金の限度に近い状態で推移したのは、被告が信用取引に対して積極的な意欲を有していたからである。

(二) 被告が乙野太郎名義で取引をしたのは、被告の希望によるものであり、原告の従業員が勧めたものではない。また、原告の従業員が、取引に当たって、被告に対し、短期間で絶対に値上りするなどと断定的判断を提供したことはない。

(三) 右一1(二)③の規定により、顧客が所定の期限までに追加の預託をしない場合には、証券会社は、信用取引を決済するために、顧客の計算において、売付け又は買付けをすることができるが、同規定により売付け又は買付けをするかどうかは証券会社の自由であり、証券会社にそのような義務(手仕舞義務)があるわけではない。

右一2(三)のとおり預託率が維持率を下回るようになったため、竹村は、被告に対して、追加の委託保証金を預託するよう要求し続けた。これに対し、被告は、追加の委託保証金を預託したことがあったほか、建玉を一部処分したり、現引き(信用取引が買い付けた株式を代金を支払って現物で引き取ること)したりして、預託率が上昇するような措置をとり、竹村に対して、手仕舞の延期を求めていたものである。このような状況において、原告に、手仕舞義務があろうはずがない。

第三  争点に対する判断

一  事実関係

1  証拠及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

(一) 被告は、昭和一一年に生まれ、昭和三一年に高校を卒業した後、昭和三四年に乙野明夫と結婚した。乙野明夫と被告の間には、三人の子がいる。結婚後、乙野明夫は、某県某市において、温泉旅館を経営していたが、昭和五〇年ころ、旅館業をやめ、広告出版業を始めた。被告は、主に主婦として、三人の子の世話をするなどしていた。

(二) 被告は、昭和五九年に山一證券株式会社(以下「山一證券」という。)において、投資信託の取引を始め、昭和六〇年五月からは、山一證券との間で、株式の信用取引を行っていた。被告は、右信用取引においては、専ら山一證券の担当者に勧められるまま売買を行っていた。また、被告は、日興證券株式会社(以下「日興證券」という。)との取引もあり、日興證券四日市支店において、ワラントを購入したこともあったが、信用取引はしていなかった。さらに、被告は、原告と取引を始めた後、岡三証券株式会社(以下「岡三証券」という。)との間で、株式の信用取引を行っていた。

(三) 昭和六三年八月二五日午前中に、被告は、原告津支店に電話をし、電話に出た竹村に対し、愛知製鋼の株式を四万四〇〇〇株持っている、株式の取引をしたいと述べた。竹村は、電話で、被告に対し、株式市場の状況などについて説明した。

同日午後、原田と竹村が被告宅を訪問し、被告に対して株式の信用取引をすることを勧め、そこで、原告と被告との間で信用取引を開始すること並びに初めに大阪機工、セッツ及び日本特殊陶業の三銘柄を買うことが決まった。原田らは、被告に対し、男性の名がいいと言って、男性の名義で取引をすることを勧め、被告は、子である乙野太郎名義で取引することに決めた。以後、原被告間の取引は、乙野太郎名義で行われた。

竹村は、同日夜、被告とともに津中央郵便局まで、愛知製鋼の株式四万四〇〇〇株の株券を取りに行き、これを、信用取引の代用有価証券として、預託を受けた。

なお、竹村は、被告が広い立派な家に住んでいたことなどから、被告の資産は一億円以上あり、原告において顧客の資産について定めているA、B、Cの三ランクのうちAランクであると評価した。

(四) その後の取引の過程で、被告は、価格の変動が激しい、いわゆる仕手株を含む多くの銘柄の株式を売買しているが、その多くは、竹村が被告に勧めて、売買したものである。もっとも、東京測範、スターツ、旭精機の三銘柄については、被告の側から言って現物を買い付け、代用有価証券として原告に預託した。被告は、東京測範については、被告が会員になっていたヤマダ投資顧問株式会社からのアドバイスによって、スターツ及び旭精機については、以前取引があった日興證券の担当者からのアドバイスによって、買い付けたものである。

(五) 被告は、資金を金融機関から借り受けて、原告と取引をしたこともあった。

被告が昭和六三年一〇月から平成二年一一月の間に金融機関から借り受けた金員の総額は、約三〇〇〇万円であった。

2  証拠及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

(一) 原告の社内規定では、預託率が三〇パーセントを下回らないようにすることと定めていた。竹村は、平成二年八月三日、被告の預託率が右社内規定に定められている三〇パーセントを下回りそうになったので、被告に電話をかけ、範囲が足らなくなるのでクラボウの株式四〇〇〇株を売ってほしいと言って、右株式を売却することを勧め、被告は、これを承諾した。そこで、竹村は、同日、被告のために、クラボウの株式四〇〇〇株を売り付けた。それでも、同日の被告の預託率は、二八パーセントとなり、三〇パーセントを下回った。なお、クラボウの株式は、右売却後値上りしたため、被告は、竹村が売却を勧めたことに不満を抱き、後日、竹村に抗議した。

(二) 被告の預託率は、株価の値下がりによって、平成二年八月六日には、二一パーセント、同月七日には、一四パーセントとなり、維持率をも下回ることとなった。

しかし、同月八日には、被告の預託率は、二一パーセントとなり、その後は、おおむね二〇パーセント台で推移していたが、同月二三日に、株価の急落により、一〇パーセントとなった。そこで、竹村は、預託率を回復するため、被告に対し、肥後銀行の株式を現引きすることを勧め、被告は、同月二四日、肥後銀行の株式九〇〇〇株を現引きした。このことにより、同日の被告の預託率は、二三パーセントとなった。

(三) その後、被告の預託率は、おおむね二〇パーセント台から三〇パーセント台で推移したが、同年九月一八日、被告の預託率は、一七パーセントになった。そこで、竹村は、預託率を回復するため、被告に対し、東海パルプの株式を売却することを勧め、被告は、これを承諾したので、竹村は、同月一九日、被告のために、東海パルプ株式四〇〇〇株を売り付けた。それでも、同日の被告の預託率は、一九パーセントであり、維持率を下回った。

被告の預託率は、同月二一日には、株価の上昇により、二〇パーセントとなったものの、その後、株価の下落により、同月二五日には、一七パーセント、同月二六日には、九パーセント、同月二七日には、四パーセントと急激に下落し、同月二八日には、マイナスになった。

(四) 同年一〇月中の被告の預託率は、同月五日の五パーセントが最高で、マイナスになることが多かった。同月中に、竹村は、何度か、預託率を回復するため、被告に対し、建玉を処分することを勧めたが、被告は、岡三証券の担当者は、そのようなことは言ってこないなどと述べて、応じなかった。

(五) 同年一一月に入ってから、被告は、竹村の勧めにより、同月二日に、若築建設の株式三〇〇〇株、同月五日に、若築建設の株式二〇〇〇株及び東急電鉄の株式二〇〇〇株、同月六日に、同和鉱業の株式三〇〇〇株、同月一三日に、東洋エンジニアリングの株式三〇〇〇株を売却し、同月一三日に、東洋エンジニアリングの株式三〇〇〇株を現引きした。また、被告は、同月七日には、竹村の勧めにより、投資信託の受益権を売却した代金を、委託保証金に入金した。同年一一月の被告の預託率は、これらの売却等をしたときには、一時的にプラスに転じたときもあったが、おおむねマイナスであった。

(六) 同年一二月三日までは、預託率はマイナスであっても、被告が代用有価証券として預託しているものをすべて売却して清算した場合には、原告から被告に対して返還すべきものがあった。しかし、同月四日には、被告が代用有価証券として預託しているものをすべて売却して清算しても、原告から被告に返還すべきものはなく、逆に、原告から被告に対して請求すべき損失が残るようになった。そこで、同月五日、原田と竹村が被告宅を訪問し、被告が代用有価証券として預託しているものをすべて売却して清算しても、原告から被告に対して請求すべき損失が残ることを説明し、損失が拡大するのを防止するため、代用有価証券を下がらないうちに売却して、現金化することを勧めた。

被告は、竹村の勧めに従い、同月五日には、代用有価証券として原告に株券を預託していた昭和海運の株式一万株及び同和鉱業の株式一〇〇〇株を売却し、同月七日には、代用有価証券として原告に株券を預託していた日本加工製紙の株式三〇〇〇株を売却し、これらの代金は委託保証金として原告に入金された。そして、被告は、同月一三日には、委託保証金として、現金二〇〇万円を、原告に入金した。これは、竹村から、何とか損失を回復するよう努力すると言われたために入金したものである。

(七) 同年一二月一七日、原田と竹村が被告を訪問し、NTTの株式が年末年始には必ず三割上がると断言して、被告が代用有価証券として原告に株券を預託している株式をすべて処分してNTTを買うことを勧め、被告の承諾を得た。そして、同月一八日と一九日に、原告は、被告のために、被告が代用有価証券として原告に株券を預託していた株式をすべて処分して、NTTの株式二四株を、一株一〇四万円から一〇八万円で買い付け、これを代用有価証券として預託を受けた。

(八) しかし、その後も、被告の預託率は回復しなかった。

二  右一認定の事実関係に基づき、争点について判断する。

1  適合性原則について

(一) 証拠(乙六五、六六)及び弁論の全趣旨によると、昭和四九年一二月二日付けの大蔵省証券局長から日本証券業協会会長に宛てた「投資者本位の営業姿勢の徹底について」と題する通達には、証券会社が十分な改善を図り、その実施状況を把握できる管理体制を確立するよう取り計るべき事項として、「投資者に対する投資勧誘に際しては、投資者の意向、投資経験及び資力等に最も適合した投資が行われるよう十分配慮すること。特に、証券投資に関する知識、経験が不十分な投資者及び資力の乏しい投資者に対する投資勧誘については、より一層慎重を期すること。」、「特に、信用取引については、投資者の有価証券投資に関する知識、経験及び資力に関し、現金取引の場合によりも厳しい基準を設け、慎重を期すること。」が挙げられていること並びに日本証券業協会では、投資者の意向、投資経験及び資力等に最も適合した投資が行われるよう、証券会社による投資者の勧誘について、規則により、種々の規制を行っていることが認められる。また、本件の原被告間の取引の後ではあるが、平成四年法律七三号による改正により、証券取引法五四条一項に、「有価証券の買付け若しくは売付け又はその委託について、顧客の知識、経験及び財産の状況に照らして不適当と認められる勧誘を行って投資者の保護に欠けることとなっており、又は欠けることとなるおそれがある場合」には、大蔵大臣が証券会社に対し監督上必要な事項を命じることができる旨の規定が設けられた。

以上のとおり、証券会社は、投資者に対して証券投資を勧誘するに際しては、投資者の意向、投資経験及び資力等に最も適合した投資が行われるよう配慮すべきであるということができる。

(二) 本件についてこれを見ると、次のようにいうことができる。

① 証拠(甲二〇の一ないし四、甲二一の一、二、甲二八、六一、六二、乙五五、六二、被告本人)及び弁論の全趣旨によると、被告は、昭和六三年八月当時、前記の愛知製鋼の株式四万四〇〇〇株(当時の時価にして、三一四六万円)を有していたほか、岡三証券に時価にして五、六〇〇万円の株式を預けていたこと、被告は、昭和六三年八月当時、住所地所在の自宅の建物について持分二分の一を有していたほか、他に土地を所有しており、さらに、約三〇〇〇万円の預貯金を管理していたこと及び被告は、昭和六三年八月当時、夫である乙野明夫の経営する会社から、取締役報酬として、月額三〇万円の支給を受けていた(もっとも、実際に取締役としての仕事はしていなかった)ことが認められる。これらの事実からすると、被告は、資力に乏しいとはいい難い。

② しかしながら、一方、被告の知識について見るに、前記一1、2認定の事実に証拠(被告本人)を総合すると、被告は、高校卒業後主に主婦として過ごしてきた者で、原告との取引を開始した当時、信用取引については、株式を担保として預けることにより、一定の範囲で、資金を借り入れて株式を買うことができるものであるとの知識はあったと認められるが、それ以上に信用取引の仕組みについて知識があったとは認められないし、株式取引について自分なりの相場観を有していたとも認められない。

前記一1(二)認定のとおり、被告は、昭和六〇年五月から、山一證券において株式の信用取引を行っていたのであるが、専ら山一證券の担当者に勧められるまま売買をしていたものと認められ、山一證券における信用取引の事実は、被告の知識についての右認定を覆すに足りるものではなく、その他の前記一1(二)認定の被告の取引経験も、被告の知識についての右認定を覆すに足りるものではない。

③ したがって、被告は、資力の点はともかく、知識の点で、信用取引を行うのにふさわしい者であったかについては、問題があったといわざるを得ず、原告の従業員は、そのような者に対して、信用取引を勧誘し、被告は、以後、主に、原告の従業員の勧めに従って、いわゆる仕手株といわれる株式を含む株式の売買取引を行ってきたものである。

④ なお、被告は、原告の従業員が、被告に対し、代用有価証券を預託させたことが適切でない旨主張する。確かに、被告が主張するように、代用有価証券が預託されている場合には、委託保証金が金銭で預託されている場合に比べて、株価が全般的に低下した際の預託率の低下が大きくなるなど、危険性が高くなることがあると認められるが、代用有価証券の預託は、一定の条件の下に、法律上認められているものであり、右危険性から直ちに、被告に代用有価証券を預託させることが適切でないということはできない。

さらに、被告は、原告の従業員が、被告に対し、委託保証金の限度一杯まで取引をさせたことが適切でない旨主張するに、預託率が前記第二の一1(一)②の各証券取引所が定める委託保証金の率を超える場合には、超過分に相当する委託保証金を、新たな取引のための委託保証金に充当して、新たな取引をすることが認められている(東京証券取引所の受託契約準則一三条の六、一三条の六の二、大阪証券取引所の受託契約準則一一条の六、一一条の六の二参照)ところ、証拠(甲一〇ないし一七、乙四八の一ないし二三、証人竹村芳幸、被告本人)によると、被告が預託していた委託保証金の額に余裕があり、新たな取引が可能な場合には、竹村は、被告に勧めて、右の超過分に相当する額を新たな取引のための委託保証金に充当して、新たな取引を行ったことがあるものと認められる。しかし、その取引は、法令や受託契約準則等で認められている範囲内の取引であり、直ちに適切でないということはできない。

2  断定的判断の提供について

原告の従業員は、前記一2(七)のとおり、平成二年一二月一七日に、被告に対し、代用有価証券をすべて処分してNTTの株式を買うことを勧めた際には、断定的判断を提供したものと認められる。それ以外に、原告の従業員が、被告に対し、短期間で絶対に値上りするなどと断定的判断を提供して、取引を勧めたことを認めるに足りる証拠はない(被告本人は、平成二年一月に東海パルプの株式を買い付けた際にも、竹村が断定的判断を提供したかのような供述をするが、この供述のみでは、いまだ、竹村が断定的判断を提供したとまでは認められない。)。

3  預託率が維持率を下回るようになった際における原告がとるべき措置について

(一) 証券会社は、顧客から委託を受けて、顧客の計算で、株式の売買を行うことを業とする者であり、顧客から株式売買の委託を受けた場合には、顧客の指図に従って、株式の売買を行う義務を負うのであるが、顧客は、自己の責任で株式取引を行うのであるから、証券会社は、顧客の委託がないにもかかわらず、顧客の損失を避けるために、当然には、株式の売買を行うべき義務を負うものでない。

また、前記第二の一1(二)③の受託契約準則の規定(顧客が所定の期限までに定められた委託保証金の預託をしない場合には、証券会社は、信用取引を決済するために、顧客の計算において、売付け又は買付けをすることができる旨の規定)は、委託者が委託保証金を預託する義務を履行しない場合に、これによって証券会社が損害を被ることを防止するために、証券会社に建玉の処分権限を付与したものであり、そのような場合に、顧客の計算において建玉を処分する義務を証券会社に課したものではない。

(二) しかしながら、本件では、すでに述べたとおり、原告の従業員は、信用取引の知識が乏しい被告に対して、信用取引を勧誘し、以後、被告は、主に、原告の従業員が勧めたところに従って株式の売買取引を行ってきたのであるから、その売買によって損失が生じ、それが拡大するおそれがある状況下においては、被告が、原告の従業員に対応措置を期待するのももっともなことであるということができる。また、原告としても、原告の従業員が勧めたところに従って被告が株式の売買取引を行うことにより、手数料等を得てきたのであるから、被告から対応措置をとることを期待されてもやむを得ない状況にあったということができる。殊に、本件のように、預託率が維持率を下回っている場合には、原告は、受託契約準則の右規定に基づき、被告の計算において建玉を処分する権限を有するのであるから、建玉の処分という強力な対応措置をとることが可能な状況にあったということができる(委託保証金の制度は、証券会社の債権の担保を主たる目的としているが、過度の投機を抑制して顧客を保護するという目的もあるから、受託契約準則の右規定に基づく権限を、顧客の保護のために用いることは、委託保証金制度の趣旨にかなうものである。)。

したがって、右のような状況の下では、それまでの取引の態様、損失が生じている状況、その後の回復の見込み、そのような状況にあることについての顧客の認識、顧客の意向及び対応能力等の諸般の事情から、原告において、原被告間における継続的な信用取引契約における信義則上の義務として、建玉の処分を含む対応措置をとるべき義務が生ずることもあるというべきである。

(三) そこで、右(二)で述べたところに従い、原告が建玉の処分を含む対応措置をとるべき義務があったかについて判断する。

① 被告は、平成二年九月二六日には、遅くとも、原告の従業員は、建玉を処分するとともに、代用有価証券を売却して、その以上の損失が生じないような措置を講じる義務があったと主張する。確かに、前記一2認定のとおり、被告の預託率が維持率を下回ることがあったところ、平成二年九月二五日には、預託率が一七パーセントとなり、同月二六日には、預託率は、九パーセントと大幅に低下したものと認められるが、前記一2認定のとおり、それまでは、被告の預託率が維持率を下回っても、株価の上昇又は被告による建玉の処分によって、被告の預託率は維持率以上に回復しており、被告の預託率が維持率を下回ることはあったとしても、それは一時的なものであったこと、当時、その後被告の預託率が維持率を大幅に下回る状態が長期間にわたって続くことを予測することができたと認めるに足りる証拠はないこと及び被告の側で、預託率が維持率を下回った場合には、直ちにすべての取引を決済したい旨の意向を有していたとか、そのことを原告の従業員に述べたとは認められないことからすると、平成二年九月二六日の時点で、原告において、建玉を処分するとともに、代用有価証券を売却して、それ以上の損失が生じないような措置を講じる義務があったとは認められない。

②イ 前記一2認定のとおり、被告の預託率は、平成二年九月二八日には、マイナスになり、以後、維持率を回復することはなく、おおむねマイナスで推移した。被告は、竹村の勧めによって、建玉を処分するなどしたが、預託率が回復することはなく、同年一一月末ころには、そのような状態で約二箇月を経過することとなった。

また、証拠(乙三八、証人竹村芳幸)及び弁論の全趣旨によると、上昇を続けていた平均株価は、平成元年末ころをピークに下がり始め、平成二年一一月末ころには、株価は大幅に下がり、短期間で株価が回復することは到底期待できない状況になっていたばかりか、ますます株価が低下するおそれがあったものと認められる。

そして、株価が低下すれば、被告が代用有価証券として預託しているものをすべて売却して清算しても原告から被告に返還すべきものはなく、逆に、原告から被告に対して請求すべき損失が残るような事態になることは明らかであった。

ロ 一方、証拠(証人竹村芳幸、被告本人)によると、被告は、平成二年八月ころ、すでに多額の借金をしていたことから、それ以上に資金を出すことはできないと考え、竹村に対し、これ以上資金を出すことはできない旨述べたことが認められる。しかし、その際、被告が、資金を出すことができない理由を述べたと認めるに足りる証拠はない。

また、証拠(甲四の二二ないし二六、乙六三)によると、原告の顧客勘定台帳には、前記一2(六)認定の平成二年一二月一三日の二〇〇万円の入金以外に、平成二年八月から一二月までの間に、被告が、何回かにわたって、現金を入金をした旨の記載があるが、証拠(証人間瀬肇)及び弁論の全趣旨によると、顧客勘定台帳に出金した旨の記載をした現金を原告において預っていて、後にこれを入金して、顧客勘定台帳に現金を入金をした旨の記載をすることや原告が受益証券を預っている投資信託の受益権を売却した代金を入金して顧客勘定台帳に現金を入金をした旨の記載をすることがあるものと認められるから、右記載のみでは、被告が現実に現金を原告の従業員に渡して入金したかどうかは明らかではない(現に、証拠(甲一七の三、四、甲三四の一ないし三、被告本人)によると、右記載のうちには、被告が原告において購入しその受益証券を原告に預けていた投資信託の受益権を売却した代金を入金したもの(前記一2(五)認定のもの)があることが認められる。)ので、被告本人の現金を入金した事実はない旨の供述に照らし、被告が、平成二年八月から一二月までの間に、前記一2(六)認定の平成二年一二月一三日の二〇〇万円の入金以外に、現実に現金を原告の従業員に渡して入金したことがあると認めることはできない。

これらのことからすると、被告は、平成二年八月ころから同年一二月五日(原告から被告に対して請求すべき損失があることを知った日)までの間においては、新たに資金を出すことなく、すでに預託してあるものの範囲で取引を行うとの意思を有しており、原告の従業員もそのことを知っていたものと認められる。したがって、原告の従業員は、代用有価証券として預託しているものをすべて売却して清算しても原告から被告に返還すべきものはなく、逆に、原告から被告に対して請求すべき損失が残るという事態は、被告の右の意思に著しく反するものであることを十分認識していたものと認められる。

ハ さらに、証拠(証人竹村芳幸、被告本人)によると、被告は、もともと信用取引についての知識に乏しいばかりか、自分の預託率の状況や株価の一般的な動向について、竹村らから、被告が理解し得るように説明を受けたこともないため、自分の預託率の状況や株価の一般的な動向を正確に認識していなかったものと認められ、したがって、被告において、建玉の処分等について的確な指示をすることは到底期待できない状況にあった。

ニ  以上述べたところを総合すると、原告は、遅くとも、平成二年一一月末ころには、被告が代用有価証券として預託しているものをすべて売却して清算しても原告から被告に返還すべきものはなく、逆に、原告から被告に対して請求すべき損失が残るという事態が生じることを避けるために、前記第二の一1(二)③の受託契約準則の規定に基づいて、被告の建玉を処分するとともに、代用有価証券を売却するなどの措置をとるべき義務があったということができる。

(四) しかるところ、原告は、右(三)②ニの措置をとらなかった。そして、原告は、前記一2認定のとおり、被告に対し、平成二年一二月五日に、損失が拡大するのを防止するため、代用有価証券を下がらないうちに売却して現金化するよう勧め、さらに、同月一七日には、NTTの株式が値上がりすると断言して、代用有価証券をすべて処分してNTTの株式を買うことを勧め、その結果として、被告は、代用有価証券をすべて処分してNTTの株式を買い付けた。しかし、被告の預託率が回復することはなく、前記第二の一2(四)のとおり、原告から被告に対して請求すべき損失が残ることとなった。

なお、証拠(甲二四の二七、甲三五、乙五五、証人間瀬肇、被告本人)によると、NTTの株式の価格は、一時上昇し、平成三年三月一三日には一株一一三万円になったが、その後、下落したこと、平成三年二月から三月にかけて、被告は、原告に対し、NTTの株式の売却を待つように申し入れたことが認められる。しかし、証拠(甲七の一、二、甲三五、三六、乙五五、証人間瀬肇、被告本人)によると、平成三年二月から三月ころは、すでに、原告からの損失の請求に対して、被告はこれに応じられないとして紛争になっていた時期であり、被告において、NTTの株式の売却を待つようにとの申入れをしたことは、そのように紛争になっている以上、やむを得ないことであるということができるから、被告の責めに帰すべき事情によって損失が拡大したということはできない。

4 よって、原告は、信義則上、被告に対し、損失残額の請求をすることはできないというべきである。また、被告も、原告に対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権を有していないことになる。

第四  総括

以上の次第で、本訴、反訴ともに、請求は理由がないから、いずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官岡久幸治 裁判官森義之 裁判官田澤剛)

別表〈省略〉

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